お侍様 小劇場 extra

     “寵猫抄”
 


          




 一見すると手入れの悪そうな、傷んだ蓬髪もかくやという深色の髪を、背中にかかるまでと延ばした髪形に、眼窩も深く頬骨がやや立っていて。そこへ加えて、意志の強さに引き締まった凛々しき口許という、少々彫の深い面差しをしておいで。それでも物静かに納まり返っておれば、奥行き深い思索の似合いそうな、いかにも文学者という印象もないではないが。静から動へと切り替わるとその途端、その姿に冴えや切れが加わり、全く異なる一面が顔を覗かすこととなる。壮年手前という年頃には思えぬほど上背もあり、長い腕脚がバランスのいい、雄々しいまでに叩き上げられた屈強な肢体も精悍で。持ち重りのしそうな骨太の、頼もしくも大きな手といい、一通りでは収まらぬ武道を修めた剛の者と、見る人が見ればすぐにも判る練達で。今の時代に一体何の必要があって、こうまでの身になったお人なのかと、ともすりゃ怪訝に感じる人もいるかも知れぬ。

 “根は生真面目なお人だから。”

 特に伝承者の座を競っていただの、熱意あっての凄絶な凌ぎ合いの末だのとかいう、ドラマチックなことがある訳じゃあない。教えに沿っての精進をそれは丹念に重ねたまでだと微笑ってお言いだったっけ。それでも、それだけでこうまでの使い手にはならぬとは、武道の方面での関係者のお言いよう。

 『我らにしてみれば、
  一昔前はフォークソングを歌ってたおじさんですというような、
  小ざっぱりした恰好で、しかもすこぶる 人が善さげに。
  書店のロビーでサイン会なぞの席についている姿のほうが信じ難い。』

 そこまで言いますか、何のこれでも足らぬほどだと、楽しげな応酬をなさってたっけと思い出し。ほんに、様々なお顔をお持ちの奥の深いお方だと、七郎次としては苦笑が絶えぬ。

 「何が可笑しい。」
 「いえ…。」

 すっかりと陽も落ちて、晩秋の山野辺の里はただただ静か。人のざわめきが空虚な響きで満ちる中の、華やかだったり秘めごとだったり、ミステリアスで気の利いた娯楽こそない処だけれど。都会ではこうはいかない、何かしら切なさを振り絞られるような想いを誘うほどの絶景、頭上に広がる満天の星空を、リビングの大窓越しにいつまでも眺めることで時を過ごして。いつの間にか くうくうとうたた寝を始めてた仔猫を、交替で撫でてやりつつ各々に風呂を使い。やっぱり何の連絡もなさそうだということで、夜半を前に、大人二人も休むこととなって。旧式の洋風建築という広々とした寝室は、天井も高ければ奥行きも深く、ちょっとした屋敷のリビングルームくらいは優にあるほど。その一角、すみっこに押しやることもない置かれようの寝台に、あれこれと小声で語らい合いつつ、気がつけば…当たり前のように共におれと引っ張り込まれている七郎次で。文人と武人という勘兵衛の二面性は飲み込めていても、この手管に関してだけは、我に返るたび さすがと言うか…してやられてるなぁというか、そんな微妙複雑な気分にさせられるところ。明日の予定を訊いていただけの筈が、特に強引に背や肩へと手を回されているでもないまま、強いて言うならその深い色合いの眼差しに搦め捕られて離れ難くなり。気がつけば そおと褥の上へ横たえられて、充実した男の肢体に組み敷かれての抱きすくめられている次第。今宵もやはり、あの奇妙な仔猫の坊やをいかがしましょうねという話をしていたはずが、気がつけば割り座にした膝同士を互いに割り込ませ、そうまでして間近へと向かい合い、相手の温み、相手の匂いに安んじている二人であり。
「勘兵衛様は一体どこで、このような手練手管を身につけられたものかと思いまして。」
 自分がいかにおぼこな恋愛知らずとは言え、あまりに呆気なく取り込まれているばかりなのは少々癪か、そんな可愛げのない言いようをして見せたものの、

 「なに、好いた相手に限ればそうそう難しいことでもないわ。」

 しゃあしゃあと言いつつ、それは穏やかに目許を細めて笑みを深くする御主の態度へと、うっと言に詰まっての二の句が告げなくなって、
「………知りません。////////」
 あっと言う間に畳み掛けられていては世話はない。含羞みながら視線を落としかけるのへ、そうはさせじと…だが、大層柔らかく、大ぶりの手が細い顎を捕まえての離さない。明かりは落とした部屋の中に満ちた静謐は、だが、こうしていること急かしも責めもしない、何とも優しい沈黙で。

 “自分でも ようは判らぬのだ。”

 この青年をこういう形で前にすると、自分はこうまで強欲であったかとつくづくと思い知らされる勘兵衛で。特に妖冶だの淫靡だの、閨ではみだらな貌をあらわにするということもない彼だのに。女性からこそ好ましいとされるだろう優しげな美貌と、爽にして快活な人性をした、気立てのいい青年に過ぎぬのに。その器量の得難さを惜しんでのことだろうか、常に傍らにある彼だということにいつしか馴染んでの手放せぬまま、気がつけばこうして、自らへもそそがぬほどの情愛と執着を寄せている。夜ごとに肌を重ねて来た蓄積で、感じやすさも増しているのか、それとも…彼もまたこちらの存在感にこそ、熱くなってくれてのことか。さして施しもせぬうちから、日頃の清楚に取り澄ました様子をかなぐり捨てて取り乱し、これ以上はどうか堪忍して下さいませと、懇願哀訴する声までもがどこか蠱惑な……いやその、あのあの。///////

 「勘兵衛様?」

 機嫌を損ねたという訳でも無さそうながら、不意に沈思黙考に入られたので。いかがしましたかという声をかければ、口許を小さくほころばせ、目線を伏せると何でもないとかぶりを振る。そのまま小さな顎を、形のいい口許を引き寄せれば、流れで察してか七郎次の側でもそおと背条を伸ばしての、されどさすがに恥じらうか眸元はそろり伏せてゆき。そうなることが決められた所作ごとででもあるかのように、頼もしい腕は愛しい身を懐ろ深くへ迎え入れ、引き寄せられた花の側は、雄々しき躯へ少しの隙間も厭うてのひたりとその身を寄り添わす。出来ることなら一つになりたい、いつ何時も離れずにいたい。ああでもそうしたら、あなたをこうして感じることが出来なくなる。熱い肌も、精悍な匂いも、強い眼差し、低くて優しい声。口づけするときの吐息の甘ささえ、どれ1つだって欠けても嫌だから。あなたはあなたで、いてくれなきゃあ嫌だから…。

 「………。」

 頭の芯が熱に浮かされ、このまま くらくらと酔っての流されるのが常のこと。御主の胸元へと頬をつけ、火照った頬を意識していた七郎次だったけれど、

 「………勘兵衛様。」
 「んん?」
 「今宵は、辞めておきませぬか?」
 「??」

 これは異なことをと、怪訝そうに眉を片方だけ引き上げた勘兵衛だったのは、こういう場での駆け引きなどというもの、繰り出せるような七郎次ではないとの意識が強かったのと、

 「………お。」

 彼のそんな言いようの理由がすぐさま自分にも通じたから。広々とした室内、閑とした空間に、誰かもう一人の気配がかすかにしており。まさかと視線を巡らせれば、頑丈な作りの寝台から少々間合いを残したところ、分厚い段通の上に何かがうずくまっているのが判る。

 「…お主は。」

 呆気に取られる勘兵衛の顔を、夜陰の中、柔らかく浮かび上がらせたのは、傍らの脇卓に置かれてあった枕灯を七郎次が手際よく灯したから。そして、その光にそちらも照らされたのが、

 「起きてしまったらしいですね。」

 独りぼっちにした訳じゃあないが、あんまりよく眠っていたのでと。すぐお隣り、一応は七郎次のそれとなっている寝室の寝台へ、ムートンやボア毛布をふんわり重ねて掛けてやり、暖かくして寝かせておいた。心細くはないようにと、勘兵衛が着せかけてやっていた上着も傍らに一緒に置いておいたのだけれども、それでも匂いだけではさすがに不安であったのか。
「入って来る物音や気配は感じなかったが。」
「でも鍵はかってなかったですしね。」
 不思議な猫ちゃんですもの、そおっとなんてお手の物でしょうよと、はんなり微笑った七郎次が、

 「おいで。」

 手のひらを差し延べての招いて見せれば。子犬のお預けを思わせる格好になって、大人しくしていたおチビさんが、たちまちひょいと身を伸ばし、そりゃあ軽快な身ごなしで寝台に手を掛けるとあっさりこちらへ乗り上がってくる。ちょっぴり高さのある寝台だのに、手を掛けたそのまま、足の方は床を軽く蹴っただけの一飛びで、軽々と布団のうえに来ているところ。やはり猫の身軽さそのままであり、
「誰もいなくて寂しかったんだよねぇ?」
 いい子いい子と綿毛を梳いてやる七郎次に、うにうにと頬を寄せて懐く様も愛らしく。これではなるほど無下に追い出せもせぬかと、勘兵衛もまた今宵の睦みは諦めかけたところが、
「みゅ〜う?」
「お?」
 大人しく撫でられていた坊やが、その小さなお顔を七郎次の口許へと寄せたのへは、

 「…っ☆」

 当事者である七郎次も、あまりの唐突な接吻には、その双眸を見開いてしまっていたが。それ以上に…勘兵衛の驚きようが、彼自身でも例がないと思ったくらいに大きくて。いくら幼子の甘えかかりでも限度があろうとか何とか、論理立った何かを紡ぎ出すより先の、反射のような思わずのこと。年甲斐なくもその身が凍りかかったほどだったものの、

 「こらこら、くすぐったいvv」

 甘えかかりへの応じというお声で、当の七郎次はくすくすと笑うばかり。よくよく見やれば口許をさりさりと舐め上げているだけだったらしくって。いやそれだって十分に“口吸い”にあたるのではなかろうか。勘兵衛もまた、そうと感じたからこそギョッとしたのだが、当人はそこまで勘ぐらなかった模様であり。

 “…だろうよの。”

 なぁんだと気が抜けたと同時、こちらもこちらで別なことへと想いが及ぶ。見た目はいかにも肉薄で柔らかそうな肉芽であったが、猫の舌というのは、確か…骨についた肉をそぎ落とすための、ヤスリみたいな小さな棘があったのではなかったか?
「痛くはないのか?」
「ああいえ、擽ったいだけですよ。」
 短い言いようでだが通じたらしく、
「こんな小さな子供ですし、それにこちらを食べたくてやってることじゃあない。」
 そんな微妙な言いようをし、何だそれはと問い返す間もあらばこそ、

 「この子は勘兵衛様の真似をしてるんですよ。」
 「なに?」

 気がつきませんかと微笑った彼の口許から、ようやっと離れた小さな坊や。続いては下へとずれて、胸元をひとしきりふんふんと嗅いでみせ、それからそれから…。

 「………おお。」

 眠くてのことかとも見えるが、彼にはこれが自然な体勢なのか。手をついての四つん這いになると、きゅうぅ〜んという鼻にかかった声を出し。大人二人のお膝やら手やら、毛布や掛け布やらが入り乱れたところを とすとすと踏み分けていき。すぐ傍らから眺めていた勘兵衛の側へ寄りつくと、まだ羽織っていたカーディガンやパジャマが重なった懐ろへ、頬を擦り寄せ、もっともっとと埋まろうとする懐きよう。

 「たいそうな懐かれようですねぇ。」
 「うむ…。」

 もしかして父親とはぐれた和子なんでしょうかね。儂からはそのような匂いがするというのか? 少なくとも貫禄じゃあ、私よりずんと上でございましょう? いかにも小動物の仔という小刻みな動作で擦り寄っては、うにむに頬擦りを続ける坊やの綿毛を、愛おしむように撫でる七郎次であり。その優しげな眼差しを見るにつけ、
“……。”
 彼とは真逆、先程 こんな小さな子供の彼への甘えかかりへ、大人げなくギョッとした自分だったことを、勘兵衛としては少々苦々しいこととして噛みしめる。それだけ、この青年を独占していて当たり前という感覚になっていたということの裏返しかも知れず。自分で意識するよりも、もっとずっと深いところで、そうまでの固執を向けていた対象であったのかと、今になってあらためて思い知っている始末。

 “固執…か。”

 この年で“好きだから”もなかろうと、それへの苦笑がつい浮かぶ。だが、大切にしたい、幸せでいてほしいという想いがやまぬのだから、なれば単なる固執でもなかろうて。いつも微笑っていてほしいだけ。なのに それって案外と難しい。相手も同じことを思っていてのことなのがぶつかることだってある。この、途轍もなく気の利く青年に至っては、下手に気遣って…しかもそれが元でこちらが何かどこか損なわれでもした日にゃあ、自分こそが手を貸したかった、自分こそが置き去られる踏み石となりたかったのにと、この世の終わりの如くに嘆かれたりもしかねない。

 『奔放が過ぎるお主には、
  彼へ案じさせぬようすればよいという、丁度よい重石になろうよ。』

 そんな余計な言い回しをした知己がいて、だが、そんな言われように、七郎次がこっそり傷ついたことにさえ、勘兵衛自身が気づいたのは随分と後になってからであり。

 “…儂には気遣いなぞ柄ではないということなのだろか。”

 手を焼かせる格好で甘えることが、それへと沿う相手への信頼が、彼を充足させるということを、まだまだ気づけない、こちらさんもまた、肝心なところが不器用なまんまな困った御仁であるらしい。



←BACKTOPNEXT→***